ご本尊様
ご本尊様は、阿弥陀如来様です。南無阿弥陀仏のお名号をお唱えする人々の臨終に際して、自ら来仰(お迎えに来てくださる)し、極楽浄土へ導いてくださいます。
涅槃像
涅槃像は、お釈迦様が弟子さまたちに最後の説法をしている姿または、最後の説法を終え、涅槃されたときの姿をお像にしたものです。
当山の涅槃像は新潟県内最大級の涅槃像木造と伝わっています。もとは、同宗寺院の極楽寺に安置されていました。極楽寺と長恩寺の合併に際し、当山に安置されました。
善導大師様
善導大師様は、法然上人が浄土宗の開宗するきっかけの教えを広めた中国浄土教の高僧で、お念仏の教え「専修念仏、称名念仏」を確立されました。
法然上人は善導大師の教えに触れ、浄土宗を開宗し、生涯師と仰ぎました。
元祖(宗祖)法然上人
法然上人は、「南無阿弥陀仏」とお称えし阿弥陀様の本願にすがることによって極楽浄土へ導いていただく「称名念仏」の教えを日本に広めました。身分や性別に関係なく、多くの人々が法然上人に教えを請いました。
東照大権現(徳川家康公)坐像
寛永2年に徳川家光公から与えられた東照大権現(徳川家康公)坐像で、全国でも珍しい、笑ったお顔をされています。
寺領内に、神殿、唐門、随神門、石の鳥居、玉垣をめぐらした豪華な東照宮があり、安置されていました。当時は、東照宮の守護料として年20俵の米、修理代、雪下ろし、雪囲いの費用も藩から支給されていました。
東照宮は老朽化により取り壊され、現在は本堂内陣に安置されています。
山門
高田藩開府当時に建てられた天崇寺山門です。高田城の蹴出門と同形と伝えられており、当時の建築の面影を残す貴重な資料となっています。
上越市の指定文化財のひとつです。
平成30年信徒様のご寄進により、山門に掲げられた寺号額を修復いたしました。
天明地蔵
天明4年(1784年)の大飢饉の時、長恩寺(後に天崇寺と改称)第15世住職 教譽旭専和尚が境内に救済小屋を建て、かゆの施しを行いましたが、境内での死者は千余人と伝わっています。多くの餓死者を弔うために建立され、天明地蔵または乞食地蔵と呼ばれています。
高田姫 勝姫様・初代高松宮妃 亀姫様御廟
高田姫 勝姫様は江戸幕府二代将軍 秀忠公とお江の方様の三女で越前宰相忠直に嫁ぎ、光長、亀姫のほか、一女をもうけました。
夫 忠直が流罪となり、不遇な境遇になりましたが、勝姫の兄 家光が将軍になると、光長に高田26万石を与えたので、寛永10年に高田に入府しました。その時に高田町民の地子銭(土地の税金)を免じて城下の産業を保護したので、町民に厚く慕われ、高田姫と呼ばれた。この特権は明治維新まで続きました。
寛文12年(1672年)2月21日に江戸のお屋敷で亡くなりますが、遺言により三回忌の延宝2年に天崇寺に改装され、その時天崇寺の全建物が改築されました。
戒名は「天僧院殿穏泰安豊寿大禅定尼」
その他所蔵品
・高田姫様ご使用の日常品 多数、持蓮華(ハスのつぼみ型の持ち物)等
・伝 徳川家康公肖像画(近年、肖像画の特徴から秀忠公肖像の可能性が高いと言われています)
・高松宮様ご使用の食器類(榊神社様よりお預かりしております)